キャロル・ダナム医師Dr. Carroll Dunham, M.D. (1828 - 1877)
1828年、ニューヨークで生まれ。
1847年コロンビア大学を優等で卒業すると、
1850年ニューヨークの医学・外科医大学でM.D.(医学博士号)をとっています。
ダナムは一度、ほとんど死にいたるようなひどいケガを負っていますが、自身でLach.を投与し治癒し、その後ホメオパシーを支持するようになっていったようです。
ダナムは勉学のためヨーロッパを周り、ベニングハウゼンに師事し、彼の臨床に同席もし、その臨床の記録と結果を詳細に筆記しました。
ダナムは非常に多くの本を著述しています。
25年間定期的に論文も寄稿しています。
その後、膨大な臨床・仕事のため、リュウマチ性心筋炎を発症しました。
旧医学はそれに対し匙を投げましたが、ここで彼を救ったが、
友人ヘリングのLithium carb.(炭酸リチウム)の処方でした。
治癒後、ダナムは長年の夢だった「世界ホメオパシー会議」の開催に着手し大会は成功をおさめました。
またダナムの尽力のおかげでLIGA国際ホメオパシー医学連盟(LIGA International Homeopathic Medical League)も生みだされています。
http://liga.iwmh.net/congreso.html
補足ですが、LIGA国際ホメオパシー医学連盟は世界的なホメオパシー医師、医師、歯科医師、獣医師、薬剤師の連盟で、メンバーのおかげで、1925年スイスの法律下で正式な設立にいたり、現在70カ国以上のホメオパシー医師が参加しています。
ダナムの講義は、生徒たちの講義録により彼の死後出版されましたし、ジェームス・タイラー・ケントもダナムの講義を非常に称賛しています。
代表作は
1. How To Take The Case ケースの取り方
2. Lectures on Materia Medica マテリアメディカ講義
3. The Science of Therapeutics 治療の科学
となっています。
ダナムのマテリアメディカは、非常に詳細なレメディの全体的作用とプルービング症状の分析と、臨床での使用についての記述で仕上げていきました。師事したベニングハウゼンの手法に似ていますが、そのレメディ像は、多くのケーススタディとともに鮮やかに描かれています。