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ウィリアム・ベリケ MD William Boericke Dr. (1849 - 1929)


日本ではオルガノン6版の英訳者として有名なベリケですが、世界のホメオパシー教育では基本書籍になっているマテリアメディカは
http://www.vithoulkas.com/en/books-study/online-materia-medica/2131.htmll
(ジョージ・ヴィソルカス教授のサイトです。)
で無料閲覧できます。(ジョージ・ヴィソルカス教授は「これを読んで下さい」と言っているのだと思います。)

著名なアメリカのホメオパスのWilliam Boerickeは、1849年11月26日オーストリアに生まれました。(同年James Tyler Kentも生まれています)
アメリカのオハイオに移住する前ウィーン医学校で1年間学んでいます。

移住後、1880年、フィラデルフィアのハーネマン医大学を卒業、その後すぐにサンフランシスコへ移り、15年以上ホメオパスとして務めました。
1881年パシフィック・ホメオパシー・サンフランシスコ医科大学とハーネマン病院の設立者の1人となりましたが、これは、カリフォルニア大学に合併される事もなく、ベリケはホメオパシーマテリアメディカと治療学の最初の教授となり、30年続けています。

1888年、Willis Alonzo Deweyとともに書いた12種ティッシュソルトの本を出版しました。

1901年、マテリアメディカを出版し、以降これは9版まで続いています。
また、ベリケの兄弟のオスカーは1906年、レパートリーを加えました。
この「ポケットマニュアル」はほとんど全てのホメオパスの書庫にあり、何百ものレメディを簡潔に導くもので、そのうちのいくつかは、他のどの書籍にもないようなものもありました。多くのホメオパスは、日々の臨床をこのポケットマニュアルに頼っています。(世界レベルではそのようです)

1880年~1920年、ベリケ医師はサンフランシスコで非常に人気のある医師で、実際、患者はベリケにホメオパシーで治療してもらおうと、全世界から訪れていました。

1921年、ベリケと、ジェームス・ウィリアム・ウォード(James William Ward )は、ベニングハンゼン家(Boenninghausen)からハーネマンの遺産(オルガノン6版原本を含めたハーネマンの遺産)を買うためリチャード・へ―ル(Richard Haehl )に資金を供給していますし、また、ベリケは出版にあたって、オルガノン6版の原本を英訳もしています。
ベリケは非常に働き者で、家族もベリケに献身的でした。
1929年4月1日、とてもひどい心臓発作で亡くなりました。
70代後半のベリケでしたが、身体的には動きっぱなしでした、亡くなる数カ月前には狭心症の発作も起こしていました。

ベリケの死から2カ月後、自宅は焼失し、後に残ったのは、石の暖炉とベリケのホメオパシー全書籍でした。

*ベリケは健筆家で、そのテキストは現代のホメオパスに、スタンダードで必須の書籍です。



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