H.C.アレン医師 Henry Clay ALLEN(1836-1909)
アレンは1836年2月10日オンタリオに生まれ。
医学的教育をオハイオのウェスタンホメオパシー医科大学で受け、1861年に卒業、その後医師の大学と、カナダの外科医の大学を卒業しています。
卒業後間もなく、北軍(南北戦争の北)に入り、軍医としても活動していました。
戦争後は母校の解剖学の教授職を受け、やがて、シカゴのハーネマン医科大学の解剖学の教授職を受けています。
1880年には、ミシガン大学でマテリアメディカの教授に任命され、
1892年には、彼自身がヘリング医科大学と病院を設立し、学部長とマテリアメディカの教授を務め、1909年、1月22日、彼が死ぬまで続けました。
アレンは臨床経験はもちろん、「the Medical Advance」を編集・出版していましたし、また多くのホメオパシー協会の名誉的な地位にありました。
またハーネマンのオルガノンを医学部のカリキュラムに復権させようと精力的な活動もしていました。
そして、当時ケントがプルービングされていないレメディの出版をしようとした事に、アレンは反対もしました。
ケントは「1カ月に1つのレメディを出版する」と公言していたので、例えばAluminaとSilicaを組み合わせて、Alimina silicataに存在するだろう症状を推測したのです。けれど、ハーネマンとヘリングを擁護していたアレンにはこれは到底納得できるものではなく、結果的にケントはこの合成されたレメディ像に関する本の出版をとりやめました。
オルガノンの思考法を徹底的に理解し、それを貫き、大学の教授、各種ホメオパシー医学協会の名誉職、またその間にも膨大な本の執筆を行ったアレンのマテリアメディカもインターネット上で自由に閲読できます。